トルコ産オーガニックコットンであなたも「カッコイイさん」@カッパドキア
カッパドキアといえば、
不思議な形をした巨石群に、
気球、
バギー
と楽しいこと満載の有名な観光地ですが、
今回はそのカッパドキア(ギョレメ)で出会った素敵でたのしいお店をご紹介します!
夜、ギョレメを宿(洞窟ドミトリーでした^^)に向かって歩いていると、なにやら気になる看板が。
「ALL OUR PRODUCTS ARE ORGANIC」
おおー!!
しかも、今まで各地で見てきたようなオーガニックショップとは違い、ここは布専門のお店。実は私、この国でオーガニックの布製品にどうしても出会いたかったんです。なぜならトルコは、オーガニックコットン生産量世界第2位の国なのです!(ちなみに1位インド、3位中国。2013年5月の情報http://www.environmentalleader.com/2013/05/24/organic-cotton-shows-signs-of-stabilizing/)
店のオーナー、ファティーさんからの質問「僕、何歳だと思う?」
「うーん、35?」
「ちがう」
「40?」
「ちがう」
「わからない」
「僕は50歳だよ」
「えっ!!でも肌が若すぎる」
「オーガニックの力さ」
すご。。
もっとゆっくりしたかったのですが、翌日は朝4時起きで気球ツアー。
「今日は帰って、また後日ゆっくり見にくるね」
「帰って何するの?」
「もう寝る」
「君たち子どもいないのにもう寝るの?」
「え?」
「ハッハッハ!」
・・・余計なお世話すぎる!!笑
「ちなみに僕はまだ30代だ」
・・・さっきのウソだったんかい!!笑
次回来たらチャイをごちそうしてくれるとのことだったので、それを楽しみに翌日また遊びにいきました♪
店先で杏子の帽子と俊介のサングラスをつけて遊びはじめるファティー。
ご馳走してくれたトルコのチャイ。これ、本当に大好きです。トルコにいると、一日5杯くらい平気で飲んじゃいます。
チャイをいただきながら、あらためて店内の商品をゆっくり眺めます。
トルコ産オーガニックコットンのカラフルなストールたち。タオルとして使っても良いそうです◎
商品を試したりするとファティーが「カッコイイさん」と言ってくれます。たぶん、「Mr.(Ms.)Cool」的なニュアンスだと思います。
俊介は白地に水色のラインの入ったストールを購入。マフラーを巻いたりすると顔がかゆくなりやすい俊介ですが、これなら大丈夫そう!しかも、巻くだけで「カッコイイさん」になれます。
こちらはオーガニックシルクのスカーフ。シルクもトルコ産だそうです。
杏子は次の国・イランに向けて赤のスカーフを購入(イランはイスラム国家で、女性は旅行者でも頭にスカーフを巻くことが義務付けられています)。
小さなタオル類もたくさん!こちらは南アフリカで合流予定の女性にお土産として持っていくことに♪
お買い物をしたあと、ファティーと一緒に記念撮影。
みなさんもカッパドキアに行った際はぜひ、ファティーのお店へ行って「カッコイイさん」になってみてくださいね!
Sultan CharmのHP→http://sultanscharm.com/
written by Kyoko
イスタンブールのオーガニックショップ
世界一周19ヵ国目は、トルコ!
ブルガリアから夜行バスに乗って、イスタンブールへ到着すると、そこは、もうヨーロッパではない!!
アジアの空気に飢えていた私たち。やっとヨーロッパから抜けたんだなあと思うと、ふうっとため息が出てしまいます。
イスタンブールという都市は、西のアジア側と東のヨーロッパ側に分かれており、ヨーロッパ側はさらに、新市街と旧市街とに分かれています。
私たちが到着した側はヨーロッパ側にあるバスターミナルだったのですが、それでもばっちり、アジアのかほり♪
イスタンブールは、トルコに来たほとんどの旅行者が最初に訪れる都市というだけあって、見どころはたくさんあります。
イスラムの美、ブルーモスク
4世紀頃につくられた貯水施設、バシリカ・シスタン(地下宮殿)
などなど。。
そんなイスタブールで私たちが出会ったオーガニックショップを2つ、ご紹介します!
①Vegan Dukkan
イスタンブール初のオーガニックショップとしてオープンしたこのお店。その後オーガニックが広がるにつれて、他店との差別化をはかるために、ヴィーガン(ベジタリアン)にこだわったショップとしてリニューアルオープンしたそうです。
お醤油もありました。
食材や美容グッズなどが色々並ぶなかで、個人的に注目したのがこちら。
オーガニックコットンのメイク落としシート!
最近は基本すっぴん、日焼け止めすらよほどのことがないと塗らないという生活を送っていますが、これは使えそう!!ということで購入決定。
その他、手持ちのシャンプー類もそろそろなくなるところだったので、購入することにしました。
欲しい商品を一式持ってレジに行き、
「あと、あそこのヘアーコンディショナーをください」
と、高いところにあった商品を指さすと、店長がニコリと笑ってエアコンのスイッチを切った。
・・・?
「違います、ヘアーコンデイショナーを…」
「Oh!アッハッハッハッハ!!!」
店長、大爆笑。
そう、彼は私が「hair conditioner」と言ったのを、「air conditioner」だと思ってエアコンのスイッチを切ってしまったのです。
店内にいた客のマダムも、「ヘアーコンディショナー、エアーコンディショナー」といいながらくすくす。
よほどツボったようで、会計をする間も、ずっと「アーッハッハッハ!!」と笑い続けていた陽気なご主人でした。
お店の看板猫ちゃんと。
ネットで調べてみたら、このご主人、お店を始める前は歯医者さんだったそうです。
Vegan DukkanのHP→ http://vegandukkan.com/
②BALYA Organik
Vegan Dukkanのある坂道を海に向かって少し降りていくと、右手に見えるのがこちらのお店。
カフェ併設のショップで、生鮮食品も置いてあります。
じゃがいも美味しそう。
6月のトルコの強い日差しで、喉がカラカラになっていた私たちは、りんごジュースを購入。
すごく濃くて、りんごをかじってるみたい!正直、カラカラのときの水分補給にはあまり向いていませんでしたが、ビタミン補給したぞ~という気持ちになれました。
BALYA OrganikのHP→http://www.balyaorganic.com/
さいごに本日の戦利品です。
左の2つは俊介の、あとの3つは杏子のです。
みなさんもイスタンブールでオーガニックに出会いたくなったらぜひ、こちらのお店をのぞいてみてくださいね♪
written by Kyoko
セルビア初のオーガニックレストラン“Grezdo”@ベオグラード
セルビアの首都・ベオグラードで、2013年4月にオープンしたという国内初のオーガニックレストラン「Gnezdo」に行ってきました!
「Gnezdo」は、セルビアに行ったら誰もが必ず訪れると言われているカレメグダン城址公園(ベオグラード要塞)から歩いて10分くらいのところにあります。
小高い場所にあるこの公園からは、ドナウ川とサヴァ川の両方を臨めます。
ここは旅行者にとっても、地元の人々にとっても大事な憩いの場。
歌を歌っていたおじいさん。すごく素敵だったので、コインを少し お渡ししました。
要塞にも歴史が感じられます。
公園から、トラムの道に沿ってしばらく坂を下りていくと、こんな階段が見つかるはず。中央駅からも歩ける距離です。Gnezdoの入り口は、なんとこの階段の途中!
断言します。知らなきゃ絶対気付きません。
入口近影。これがほんとにレストランの入り口なの?と疑いたくなってしまいますが、扉の右上に、ちゃんとお店のプレートがついていました。
おそるおそる中に入り、薄暗い螺旋階段を登ると 、突然、雰囲気がパッと明るくなりました。
「Gnezdo」はっけーん☆
中に入ってみると…
手作り感があって、なんとも愛らしい。
ランチをとるべく12時の開店を目指していったのですが、食べものの提供は13時~とのことで、飲み物をいただいて待つことにしました。
ドメスティック・アイスティー。冷たいカモミールティーにスライスしたレモンが数枚入っていました。
よく見るとティーバッグはALNATURA(ドイツの大手オーガニックスーパー)のものだったのですが、セルビア産の茶葉が使われているのでしょうか(ALNATURAのHPを見てみたけど産地の表記を見つけられず)。それともお茶自体がドメスティックというよりは、この飲み方がドメスティック、セルビア式アイスティーという意味なのかな?
日差しの強い日だったので、すっきりした味に癒されました。
予想外の待ち時間ですっかり空腹になったころ、いよいよ店員さんがメニューを持ってきてくれました。13時きっかり。
私たちが注文したのはこちら。
野菜たっぷりリゾット。本当はパンプキンリゾットなのですが、この日はカボチャが品切れで、別のものになっています。お米が真っ赤。そしてうかつにも、一体何のリゾットなのか訊くのを忘れました。
ほんのりアジアを感じさせる味付け。
こちらは、焼きリンゴとチキンが乗ったパスタ。
焼きリンゴとチキンがこんなに合うとは知りませんでした。パスタはクリーミーで、さっぱりした具ととても合う。
ところで、メニューを見ていると、「Organic」を意味するセルビア語に「Organski」とか「Organska」とか「Organske」といった具合に、いくつか種類があることを発見。あとに続く名詞の種類で語尾が変わったりするんでしょうか。
値段も比較的お手頃で、美味しい“Organski”なごはんが食べられるこのお店。
セルビアを訪れた際は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか♪
GrezdoのHP
ちなみに。
私たちが泊まっていた「CityBreak Hostel」という宿のお隣も、ビオショップでした。
ベオグラードでは毎年「バルカン・ビオエキスポ」が開かれており、オーガニックの普及にも力を入れているようです。
駅の窓口に寝台列車の切符を買いに行ったら、なぜか「予約できない」と言われ、座席指定のない切符を渡されました。
寝台なのに自由席??おかしいなと思っていたら……
そもそも寝台じゃなかった。
というか、正確には寝台車両もあったのですが、なぜか訊かれもせず普通車両にされていたのです。
車掌さんに訊いたら、その場でアップグレードすることは可能だけど、ユーロかセルビアディナールの現金しか使えないとのこと。
持ってない…。
ハンガリーで所持金の多さに怖気づいて持っていたユーロを全部両替してしまったけど、やっぱりヨーロッパにいる限り、ユーロは少し持ってたほうが良いですね。。。
結局酔っぱらいのおじさんに絡まれたり、タバコの煙にまかれたりながら、国境を越えることになりました。
written by Kyoko
セルビアが教えてくれた、感謝する心。
ハンガリーの首都・ブダペストから、寝台列車に乗ってセルビアの首都・ベオグラードへ。
クラクフ(ポーランド)→ブダペストの寝台が2人部屋だったので、すっかりその気になっていた私たちですが、今回は、まさかの一人部屋×2!
お互いに、束の間の一人旅を満喫しました◎
ところで、「セルビア」という国。
正直、どこにあるの???という方もいらっしゃると思います。
もしかしたら「コソボ」のほうが知名度は高いかもしれませんね。
コソボは未だに、「国」なのか「自治州」なのかがはっきりしない地域です。
コソボ側は2008年に共和国として独立を宣言しましたが、セルビア側は「コソボはセルビアの一部」として、それを認めていません。
(ちなみに、恥ずかしながら私、コソボはアフリカあたりの国だと思ってました。。。)
セルビアの首都・ベオグラードの街のど真ん中には、コソボ紛争の際、1999年にNATO軍から空爆を受けた建物がそのまま残されています。
そしてふと、街を走るバスに目をやると・・・
DONATION from the people of JAPAN!
セルビアと日本の国旗がクロスしてる!!別に自分が何かしたわけじゃないのに、なんだか嬉しくて、これだけでセルビアに好感を持ってしまう。
日本も東日本大震災の時には、色々な国から海外救援金などの支援を受けたはずですが、そういえば一体どの国からどれくらいの援助があったかって、みなさんはどの程度把握していますか?
私は全然知りませんでした。
だから、海外からの支援に対して、きちんと感謝をしたことがありませんでした。
でも、セルビアのバスを見て気付きました。
本当はそれってすごく大切なことだったんじゃ??
どちらかというと自分も、被災地を「支援する側」の気持ちでいたけれど、日本人として「いただいた側」でもあるのだということを、すっかり忘れていた!
恩知らずじゃん!!!
調べてみると、実はここセルビアも、多額の海外救援金を送ってくれた国の一つでした。
日本赤十字社のサイトを見てみたところ、平成26年5月31日現在、セルビアからの海外救援金は約1.9億で世界19位(順位は自分でカウントしたもので公式に発表されたものではありません。間違っていれば訂正します)。
これは日赤だけの数字で、かつ、お金以外の支援もあるはずなので、この順位が各国からの支援そのものを表すものではありません。
また、一部サイトで「セルビアからの義援金は欧州第1位」と書かれていましたが、これはおそらく震災後7カ月時点での話かと思われます。
平成26年5月31日現在では、欧州第9位です(これも公式なものではなく、私調べです)。
今回、わざわざ海外救援金の国ごとの順位を数えたのは、ネット上の情報がバラバラでよくわからなかったから。単純に順位が高ければ良いとは思ってないし、金額の少ない国への感謝も怠るべきではないと思ってます。
かつ、大事なのは、救援金の金額がそのまま気持ちの大きさに比例しているわけではないということ。
国が違えば、物価も人口も違います。セルビアより上位の欧州8ヵ国は、全て西ヨーロッパの物価の高い国々です。
セルビアの物価は、個人的な実感として、日本の1/2くらいに感じました。
そして何より私たちは、セルビアにいる間、お金でははかれない「あたたかさ」を体感しました。
「日本人」というだけで、優しくしてくれるひとがいる。
NARUTOが好きで、「日本語を教えてくれ!」と言ってくる宿のスタッフのお兄さん。
他の国の宿泊者に、「悪いけど僕は日本のほうが好きだ」と言っているのを見たときは、こっちがヒヤヒヤしました(笑)。
たまたま入ったカフェで、「どこから来たの?」と訊いてくれた店員のおじさんも優しかった。
私たちが日本人とわかると、ニコニコして、店を出る時も最後まで手を振ってくれました。
セルビアのことを知れば知るほど、
何かお返しできたらなぁ。
という気持ちになりました。
そのとき、セルビアの洪水のニュースを知りました。
5月中旬から降り続いた雨で、大規模な洪水が発生し、大きな被害が出ているとのこと。
ベオグラードにいる限り被害を目にすることがなかったので、全く気付きませんでした。セルビアを出る日になって初めて、ネットのニュースで知ったのです。
そうだ、こういう時こそ!
少額ですが、さっそくその場で募金しました。
もし、ベオグラードを走っているバスに日本の国旗がついていなかったら、
私たちに優しくしてくれた人々がいなかったら、
果たして私たちは今回の募金に参加できたでしょうか。
憎しみが憎しみを生むように、愛は愛を生むのだと
クサイ感じて、今日は締めてみようとおもいます。
でも本当にそう思った。
written by Kyoko
アウシュビッツ強制収容所、そして思ったこと
クラクフからバスで揺られること1時間半。アウシュビッツに到着です。
(ここまでの移動手段については前記事をどうぞ!)
バス停は収容所跡の目の前なので、まず迷うことはありません。
入口も「ENTRANCE」の表示に沿って進んでいけば普通に見つかります。
ただし、団体客と個人客で左右進む先が分かれているので、入口付近に行列ができていても、とりあえず近くまで行ってみてください。行列が団体側のものであればスルーして入れます◎
しばらく進むと右手にチケットカウンターがあります。
英語ツアーは1時間に1回ある様子。日本語はありませんでしたが、日本人の公式ガイドさんはいるらしいので、旅行代理店などを介せば予約できるのだと思います。
時計を見ると13:35。13:30の回が出たところだったので、少し時間は空きますが14:30の回を申し込みました。料金はひとり40ズウォティ(約1340円)。
奥に進むと、再生機器を貸し出しているカウンターがあるので、レシートを見せてそれをもらいます。
近くに沢山ヘッドフォンがかかっているので、各自取り付けます。
(ちなみにこの一連の動きに関する説明はありませんでした。ただ周りを見ていればなんとなくわかるので、なんとかなります!再生機器の受け渡しも無言だったし、日本じゃありえないことだけれど、やっぱりここは外国です。)
ツアー開始まで暇を持て余していると、待合スペース奥の映画館のような部屋から音が聞こえてきました。小さくドアを開けてみると、スクリーンには白黒の映像が映し出されている。
客席を見ると前方が空いていたので、そっと席につきました。
上映されていたのは、強制収容所の記録映像でした。
音声の意味は全くわからなかったけれど、そこに映し出される写真や映像で、内容は感じとることができる。
木箱みたいな電車から降りてくるたくさんの人。長い行列があって、その先頭では軍服を着た人が「労働力」と「非労働力」を選別している。「労働力」と見做されれば、「囚人」として収容され、過酷な労働を強いられる。「非労働力」と見做されれば、ガス室に送られて殺される。
女性と子どもの行列も、歩いているのは死への道のりだ。これがただのピクニックだったら良いのに。
ツアーは14:30を少し過ぎてスタート。アウシュビッツ、ビルケナウの2つの収容所を回り、17:30ごろ解散予定とのこと。
まずは約2時間かけてアウシュビッツ収容所内を巡ります。
有名な「働けば自由になれる」と書かれたゲート。
この門をくぐって、収容者たちは毎日過酷な労働に向かいました。
「労働」といっても、それには「午前中は穴を掘り、午後にそれを埋める」といった何ら意味のないものも含まれていたのだそうです。
朝食はコーヒーのような液体、昼食はほとんど具の無いスープ、夕食は小さなパン。
よく見ると「B」が逆さまになっているのは、これを作らされた労働者たちのせめてもの反抗なのだそうです。
有刺鉄線。高圧電流が流れており、ここに自ら飛び込む人もいたそうです。
建物内には、ここに運ばれてきた人々の靴や洋服、髪の毛などが山のように保管されていました。アウシュビッツ強制収容所が開放されたとき、ソ連軍は倉庫の中に約7トンもの髪の毛を発見したそうです。集めた髪の毛はドイツで布を織るのに使われていました。
「鞄はあとで返却するので各自しっかり自分の名前を書いておくように」と言われたそうです。もちろんそんなのは嘘。
アウシュビッツを見たあとは、10分間のショートブレイクを挟み、無料のシャトルバスでビルケナウ強制収容所跡へ移動。
このあたりから、それまでしとしと降りだった雨が激しい風を伴いはじめました。地面には大きな水溜りがあったり、ぬかるんでいたり。何度も傘が暴風でひっくり返って、正直見学どころではない!
でも、考えてみれば、こんな天気の日だって、そしてもっと寒い雪の日だって、ここに収容されていた人たちは縞のパジャマ一枚で働かされていたんです。
体感すると、あらためてその惨さに驚きます。
着いて早々、敷地内ですれ違った人々。隊列組んでたけど、何だったのだろう?
これがベッド。一段に3人で寝ていたそうです。一応ブランケットはあったそうですが、「あなたたちが想像するようなブランケットではない」そうです。
脱走者を見つけるための見張り台。1人脱走者が出ると、同じ棟から無作為に10名が選ばれ、餓死刑に処されます。座ることもできないような狭い牢に閉じ込められ、食べ物も水も一切断たれるのだそうです。
17:30頃にツアー終了。
無料のシャトルバスでアウシュビッツまで戻り、クラクフ行きのバスを探す。
駐車場のお兄さんに教えてもらったバスは、ちょっとこじんまり。値段はひとり14ズウォティ(約469円)で、往路より少し高かったです。
内装は東南アジアを彷彿とさせるかんじ。
大雨のなか、無事に帰らせてもらってありがとうございました☆
アウシュビッツを歩きながら、
悲しかったり、怒りがこみあげてきたりする中で、
「そもそもなんで日本は、ナチスドイツと同盟なんか組んでいたのだろう?」
という疑問が湧きました。
(ドイツは大好きです、誤解のないように念のため。。)
宿に戻って、色々調べ始めると、知れば知るほど疑問は増える一方で、その日は一晩中ネットサーフィンしてしまいました。
そしていくつかの記事を読むうちに、たまらなくなって泣いてしまいました。
戦争によって、どの国にも悲惨な出来事は起きている。
今、自分はポーランドでのんびりパソコンを広げているけれど、隣のウクライナでは今日まさに人々が亡くなっている。
内戦の続くシリアも地図上ではすぐそこにある。
第二次世界大戦が終わり、世界中で本当に数えきれないほどの人々が不条理にも命を落としたけれど、今も地球上には火種がたくさん散らばっている。
旅をしているとあらためてそれを肌で感じることができる。
プーチン大統領の顔にヒゲをつけて、ヒトラーに見立てている写真も、色んな国で見かけた。
ワルシャワではデモ隊の行進も見た。
時々、「もしこの地球上に国境がなかったら」と想像します。
不思議なことに、国が違うというだけで、色んなことが簡単に他人事になる。
もし、アフリカで餓死している子どもたちが全て日本人だったらどうですか?
もちろん、具体的に考えていけば問題はたくさんあるはずなので、「今すぐ国境を撤廃すべき!」と思っているわけではありません。
ただ、人間が地球上の「土地」や「海域」を所有しているなんて、おこがましいとは思います。
こういうブログで、このような難しいテーマについて長々と論じるのは適切ではないと思うので、ここで止めておこうと思いますが、
アウシュビッツへ行った日は、私たちにとって、またひとつ世界が広がった大切な一日になったことは間違いありません。
written by Kyoko
ポーランドへ来た理由
ヨーロッパ旅行に来て、ポーランドを訪れるひとって、どのくらいいるのでしょうか?
ベルリンを発つ朝、キッチンのテーブルに向かい合って二人で必死に食パンをほおばっていたとき、宿のスタッフのお姉さんに
「次はどこに行くの?」と聞かれ、
「ポーランド!」と言ったら
「ポーランド??珍しいわね!大抵ドイツ旅行に来た人は、次にチェコやオーストリアに行くわ。エキサイティングね」
と言われました。
日本にいたときも、
「ポーランドに旅行に行ってきた」とか
「ポーランド行きたい!」なんて、
私は一度も聞いたことがなく。
でも、ここポーランドには、誰しも一度は耳にしたことがあるであろう、超有名な場所があります。
私たちがポーランドにきた1番の目的です。
ナチスドイツの強制収容所に関する本といえば『夜と霧』が有名ですね。
実際にアウシュビッツ近くの収容所に収容されたユダヤ人の精神科医が、内部の人々の生活を綴ったものです。
私も読んだことがあるし、俊介さんも昨年末、なぜか日本に一時帰国したその日の夜に一気読みしていました(読むのは2度目だったらしい)。
本の中に描かれていたのは、今の私たちには想像もできないような、残酷な世界。
でも、実際に、人が人に対して、やったことなのです。
いつも旅のテーマに沿った部分を切り取って記事を書いているせいか、世界一周ブログにしては珍しく道順や移動についての情報が少なめなこのブログ。
今回は、これからアウシュビッツに向かう方のための純粋な旅のtipsと、個人的な記録としての記事を書きたいと思います。
アウシュビッツ強制収容所に行くための起点となるのが、ポーランド南部の「クラクフ」という古都。
私たちは、Polski busというポーランドのバスで
ベルリン→ワルシャワ(首都) 約9時間30分、約3000円
という感じで移動しました。時間は少しかかりますが、なんといっても安い!
クラクフ駅からアウシュビッツ強制収容所まで行く方法は
①バスで直行
②電車+バスor徒歩20分
の2通りあるのですが、私たちは①のバスで行くことにしました。
バスのチケット売り場&乗り場は、駅を挟んで旧市街の反対側にあります。
旧市街側から駅をくぐり、階段を登ってすぐのところにある建物へ。
チケットカウンターのおばさんに行き先を告げるとき、「アウシュビッツ(ドイツ語)」のポーランド語「オシフィエンチム」をド忘れして心配でしたが、「アウシュビッツ」で通じました。さすがにわからないわけないか。チケット代は片道ひとり12ズウォティ(約402円)。やっぱりポーランドのバスは安い!
乗り場を示す地図ももらえました。
この時点で時刻は11:45。バスの発車時刻は12:10で、少し時間があったので腹ごしらえすることにしました。
チケット売り場のある建物内の売店で買ったチキンサンド:3ズウォティ(約100円)。
冷たかったけど、普通に美味しかったです。
ちなみに朝食べてきた激うまクリームパイも100円くらいでした。宿の近くのパン屋さんで、昨日買ったものです。
10分前に乗り場に行くと、既にそれらしきバスが止まっていました。
しかし、バス停には人が集まっているものの、誰も乗る気配がない。
近くにいた白人女性がチケットを運転手さんに見せて「次のバス」的なことを言われているのを見て、
そっか次かあ
と思い皆と一緒に立っていました。
しかし、発車2分前になっても一向に「次のバス」が来ない。
不安になって運転手のおじさんに自分たちのチケットを見せると、
おじさんはそれを手にとって、眉間に皺を寄せ、紙面が焦げつきそうなほどジッと眺めた。
これはまさか・・・
嫌な予感が私たちを包み込んだその瞬間、
「コレッ!」
という字幕がつきそうなほど明確なジェスチャーをいただきました。
よかった!危うく乗り損ねたかと思いました。やっぱり流れに身を任せるんじゃなくて、自分で聞かなきゃダメですね。(同じようなシチュエーションで一度イギリスの長距離バスを逃したことがある)
無事バスに乗り込んだら、ここから1時間半。夏のハイシーズンだとバスに乗り切れない人や通路に立ちっぱなしのひともいるそうなのですが(日本の貸切バスみたいな補助席はない)、5月はオフシーズンのようで、空席もけっこうありました。
バス車内はこんな感じ。400円でこんなにしっかりした快適シートに座れるなんて!横浜駅→成田空港のリムジンなら同じ1時間半でも3600円します。
いざ、アウシュビッツへ!
written by Kyoko
フランクフルトのビオ農場 その2
Yukikoさんのご厚意により、ランチ後半戦(?)にありつけることになった私たち。本来はスタッフしか食べられないはずの、まかない的ランチをご馳走になりました!
チーズは他で作られたものもあるそうですが、この農場で採れた&作られたものがメインのお食事です。これまた自然な味で美味しい~。
パン工房で働くYukikoさんのお仕事は、いつも深夜に始まり、終わるのはお昼。聞けばこの日も、前夜からのお仕事を終えたところで私たちに出会ったのだそうです。ランチのあとは、農場を案内してくださるとのこと。「明日休みだから~」と笑っていましたが、くたくたのところ、初対面の私たちにここまで良くしてくれるなんて、そうそうできることじゃありません。
ちょうど今、関西からパンの修業をしに来ているご家族もこの農場に住んでいるとのことで、農場見学の前にお茶を持ってお部屋に突撃。旦那さんの修業のために、奥さんと2歳のお子さんもドイツまで一緒にこられたのだとか。ドッテンフェルダーホフには、修業や企業研修のために外国から訪れる方も多いのだそうです。
***
しばしお茶&お話に花を咲かせたあとは、いよいよ農場へ!
まずは、Yukikoさんが一昨年まで働いていたパン工房を見せていただきました。パンを作る工程は全て手作業。薪を使った石釜オーブンで焼いています。私たちが工房に入ったときは、作業終了からすでに数時間経っていたはずですが、窯に近づくと暑い!
写真の窯の中に見える新しい薪は、明日のぶん。窯に熱が残っているうちに入れておくことで、薪を乾かすのだそうです。
パン工房の壁には石が埋め込んであって、作業スペースとは思えないほどおしゃれ。これも、芸術を重視するシュタイナーの教えに従ったものなのだとか。
パン工房の奥には、居住者用にハーブなどが植えられた畑や、子どもが遊ぶためのスペースなどが広がっています。
さらに進むと、養鶏場があります。元気に歩きまわっているニワトリたちを見て、マレーシアで出会った、正反対の、歩けないニワトリたちを思い出しました。強制的に成長ホルモン剤を摂取させられ、ブヨブヨになった足。「みんなが普段食べている安い鶏肉や卵は、たぶんこういう鶏のだと思いますよ」――座ったままじっと動かなかったあのニワトリたちを思い出すと切なくなります。ドッテンフェルダーホフのニワトリたちは放し飼いですが、夜になると勝手に家に戻るのだそうです。
その奥には、大きなからっぽの農地と果樹園。
農地には最近まで牛のための牧草が育てられていて、刈られたばかりなのだそう。その前は小麦や燕麦(オートミールの材料)など、土壌を弱くしないために輪作(同じ作物を続けて植えない農業)をおこなっているのだそうです。
果樹園には、羊たちが放されていました。
こちらは暖房設備!冬場はここに薪をくべて、敷地内に熱を供給します。夜中も含め5時間ごとに薪を供給しなければならず、しかも薪は重いので、女性にはなかなかできない作業なのだそうです。暖をとるってラクじゃない。…でもよく考えたら、ボタンを押しただけで箱から温風が出るなんて、魔法みたいなことをいつもしていたんですね。寝転がってお菓子食べながらテレビを見ているだけでも部屋はあたたまる。エアコン・ヒーターを全く使うなということではないですが、感謝はいつも忘れちゃいけませんね。
「またいつでも来てね~」と、どこまでも親切なYukikoさんでした。また来ます!
ドッテンフェルダーホフのHP
http://www.dottenfelderhof.de/
written by Kyoko