海外に住む日本人をたずねてVol.2 宇佐美篤さん@ジョホールバル【2/2】
第2部・インタビュー「100%、安全は保証する」
そもそも、宇佐美さんは何故有機農業をはじめたのか。その経緯をお話いただいた。
““そもそもは僕のおじがシンガポールで有機農業に関わっていたことがはじまりです。
おじは今で言う起業家や投資家のような人で、10年以上前にシンガポールのとある青年に投資活動をしていました。その青年は、かねてから有機農業に興味を持っていて、実践を目指していたところで、おじと出会ったのだそうです。おじは、彼に日本で有機農業のノウハウを学ぶことを薦め、渡航費から日本での生活費、授業費に至るまで、費用を全額負担したといいます。まだ有機野菜なんて言葉はメジャーじゃなかった時代の話ですから、おじにもその青年にも先見の明があったといえるかもしれませんね。おじの援助を受け日本で学んだ青年は、帰国後、無事有機農業を成功させました。それを受け、今度はできた野菜を売るための会社をおじがシンガポールに作ったんです。
おじがそういった活動していた頃、僕は渋谷でホテルマンをしていました。あるとき、おじが僕に「この先、ホテルマンには英語が必須だから、一度海外で勉強してこい」と提案してくれたんです。海外で活躍していたおじの言葉は、すごく説得力がありましたね。検討した末、僕は、シンガポールへ語学留学に行くことを決めました。””
留学中は勉強の合間を縫って、おじの会社で野菜配達を手伝っていたという宇佐美さん。農業と深く関わり始めたのはこの頃だという。
““休みの日は積極的に農場へ行っていましたね。自分の目で現場を見て、生の声を直接聞いていました。そこでの話がとても興味深くて、どんどん自分でも農業について調べるようになった。そして最終的には「自分で農業をはじめた方がいいんじゃないか」という気持ちになったんです。そう思い立ってからしばらくは、日本とシンガポールを往復する日々が続きましたね。シンガポールで仕事をしつつ、和歌山県で農法を学んだんです。””
思ったことはとにかく行動に移してみるという宇佐美さん。彼が農業を始めたきっかけは、芽生えた問題意識を放って置かない、そのまっすぐな姿勢にあった。
なぜ、宇佐美さんはマレーシアの地を選んだのだろうか。その理由も聞いてみた。
““僕は、最初シンガポールで農業をするつもりだったんです。でも、実際に準備をはじめたらコストがかかりすぎることがわかりました。試行錯誤をしていたときに、農業友達が「マレーシアにいけば、ずっとコストをおさえられるよ」と教えてくれて。それが大きなきっかけとなって、僕はマレーシアへやってきました。””
宇佐美さんが「有機」にこだわる理由も改めて伺ってみた。
““僕はとにかく薬が嫌いなんです。これが有機にこだわる一番大きな理由です。
マレーシアで農業を始めた頃に関わっていた農家さんが、薬漬け農業をしていました。なんでそんなに薬をまくのか尋ねると、関係者は口を揃えて「作物に穴があいたら売り物にならないから」という。でも、当人達は絶対それを口にしないわけですよ。自分たちの分は他で作っている。おかしいだろと思いました。そんな野菜や果物を市場にばらまいて良心は傷まないのかと。儲かりゃいいなんて理屈は違うと思ったんです。
また実際に農場で働いている労働者達には湿疹など、身体の異常も出ていました。でも、経営者はそんなことお構いなしに農薬をばらまく。マレーシアの農場で働く人の多くはインドネシアやミャンマーなどからきた2年間限定の出稼ぎ労働者なのですが、彼らを使い捨てのように扱う経営者は多く、スタッフを育てるという感覚がないわけです。そういう現場の様子が、僕は本当に嫌だった。農作業というのは、人間が生きていくための原点ですよね。そこで、リーダーを勤める人間には、それなりのハートが必要だと思うんです。
だから僕は「絶対に農薬を使わない」そして「外国人労働者の労働環境を快適なものにする」という信念を持ってやってきました。あとは、海外で働く日本の顔として、常に誇れるものを作っていたいという思いもありましたね。僕は「化学肥料が心配ならうちの野菜を食べてくださいよ。100%安全は保証しますよ」と言い切れます。そこの信頼で、お客さんを得てきた自覚が僕にはあるんです。””
最近は野菜作りだけでなく、市場調査やコンサルタント的な仕事も増えてきたという宇佐美さん。海外にいる立場を生かし、農業の分野から日本と他のアジア諸国を繋ぐサポートができればと語ってくれた。
““なんだかんだいっても、日本は僕の母国なわけですから、自分のできる形で、日本を元気づけるお手伝いができればと思っています。僕は日本に恩返しがしたいんです””
後日、宇佐美さんが育てたナスと小松菜を、私たちは調理し食べた。どちらも歯ごたえがよく、甘みもあって、余計な味付けは不要だった。噛み締めたくなる野菜を、久しぶりに食べたと思った。野菜に込められた信念と惜しみない愛情を、その瞬間、私たちは確かに感じとることができた。
written by Shunsuke