いただきます夫婦の世界一周レポート

私たちは2013年10月16日より、「オーガニック」「自然と調和した暮らし方」をテーマに夫婦で世界一周の旅を始めました。 旅の途中で見つけたもの、感じたことなど自由にアップしていきます。 また、いただきますを世界に広める夫婦として、「いただきますの日」プロジェクトにも参加しています。 http://itadakimasu1111.jp/?p=1795

アウシュビッツ強制収容所、そして思ったこと

クラクフからバスで揺られること1時間半。アウシュビッツに到着です。

(ここまでの移動手段については前記事をどうぞ!)

 

バス停は収容所跡の目の前なので、まず迷うことはありません。
入口も「ENTRANCE」の表示に沿って進んでいけば普通に見つかります。
ただし、団体客と個人客で左右進む先が分かれているので、入口付近に行列ができていても、とりあえず近くまで行ってみてください。行列が団体側のものであればスルーして入れます◎


しばらく進むと右手にチケットカウンターがあります。
英語ツアーは1時間に1回ある様子。日本語はありませんでしたが、日本人の公式ガイドさんはいるらしいので、旅行代理店などを介せば予約できるのだと思います。

時計を見ると13:35。13:30の回が出たところだったので、少し時間は空きますが14:30の回を申し込みました。料金はひとり40ズウォティ(約1340円)。

奥に進むと、再生機器を貸し出しているカウンターがあるので、レシートを見せてそれをもらいます。

近くに沢山ヘッドフォンがかかっているので、各自取り付けます。

(ちなみにこの一連の動きに関する説明はありませんでした。ただ周りを見ていればなんとなくわかるので、なんとかなります!再生機器の受け渡しも無言だったし、日本じゃありえないことだけれど、やっぱりここは外国です。)

 

ツアー開始まで暇を持て余していると、待合スペース奥の映画館のような部屋から音が聞こえてきました。小さくドアを開けてみると、スクリーンには白黒の映像が映し出されている。

客席を見ると前方が空いていたので、そっと席につきました。

 

上映されていたのは、強制収容所の記録映像でした。

音声の意味は全くわからなかったけれど、そこに映し出される写真や映像で、内容は感じとることができる。

木箱みたいな電車から降りてくるたくさんの人。長い行列があって、その先頭では軍服を着た人が「労働力」と「非労働力」を選別している。「労働力」と見做されれば、「囚人」として収容され、過酷な労働を強いられる。「非労働力」と見做されれば、ガス室に送られて殺される。

女性と子どもの行列も、歩いているのは死への道のりだ。これがただのピクニックだったら良いのに。

 


ツアーは14:30を少し過ぎてスタート。アウシュビッツ、ビルケナウの2つの収容所を回り、17:30ごろ解散予定とのこと。

まずは約2時間かけてアウシュビッツ収容所内を巡ります。

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有名な「働けば自由になれる」と書かれたゲート。

この門をくぐって、収容者たちは毎日過酷な労働に向かいました。

「労働」といっても、それには「午前中は穴を掘り、午後にそれを埋める」といった何ら意味のないものも含まれていたのだそうです。

朝食はコーヒーのような液体、昼食はほとんど具の無いスープ、夕食は小さなパン。

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よく見ると「B」が逆さまになっているのは、これを作らされた労働者たちのせめてもの反抗なのだそうです。

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有刺鉄線。高圧電流が流れており、ここに自ら飛び込む人もいたそうです。

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建物内には、ここに運ばれてきた人々の靴や洋服、髪の毛などが山のように保管されていました。アウシュビッツ強制収容所が開放されたとき、ソ連軍は倉庫の中に約7トンもの髪の毛を発見したそうです。集めた髪の毛はドイツで布を織るのに使われていました。

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「鞄はあとで返却するので各自しっかり自分の名前を書いておくように」と言われたそうです。もちろんそんなのは嘘。

 


アウシュビッツを見たあとは、10分間のショートブレイクを挟み、無料のシャトルバスでビルケナウ強制収容所跡へ移動。

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このあたりから、それまでしとしと降りだった雨が激しい風を伴いはじめました。地面には大きな水溜りがあったり、ぬかるんでいたり。何度も傘が暴風でひっくり返って、正直見学どころではない!
でも、考えてみれば、こんな天気の日だって、そしてもっと寒い雪の日だって、ここに収容されていた人たちは縞のパジャマ一枚で働かされていたんです。
体感すると、あらためてその惨さに驚きます。

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着いて早々、敷地内ですれ違った人々。隊列組んでたけど、何だったのだろう?

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これがベッド。一段に3人で寝ていたそうです。一応ブランケットはあったそうですが、「あなたたちが想像するようなブランケットではない」そうです。

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脱走者を見つけるための見張り台。1人脱走者が出ると、同じ棟から無作為に10名が選ばれ、餓死刑に処されます。座ることもできないような狭い牢に閉じ込められ、食べ物も水も一切断たれるのだそうです。


17:30頃にツアー終了。

 

無料のシャトルバスでアウシュビッツまで戻り、クラクフ行きのバスを探す。

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駐車場のお兄さんに教えてもらったバスは、ちょっとこじんまり。値段はひとり14ズウォティ(約469円)で、往路より少し高かったです。

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内装は東南アジアを彷彿とさせるかんじ。

大雨のなか、無事に帰らせてもらってありがとうございました☆

 

 

 

アウシュビッツを歩きながら、

悲しかったり、怒りがこみあげてきたりする中で、

「そもそもなんで日本は、ナチスドイツと同盟なんか組んでいたのだろう?」

という疑問が湧きました。

(ドイツは大好きです、誤解のないように念のため。。)

 

宿に戻って、色々調べ始めると、知れば知るほど疑問は増える一方で、その日は一晩中ネットサーフィンしてしまいました。

そしていくつかの記事を読むうちに、たまらなくなって泣いてしまいました。

 

戦争によって、どの国にも悲惨な出来事は起きている。

今、自分はポーランドでのんびりパソコンを広げているけれど、隣のウクライナでは今日まさに人々が亡くなっている。

内戦の続くシリアも地図上ではすぐそこにある。

第二次世界大戦が終わり、世界中で本当に数えきれないほどの人々が不条理にも命を落としたけれど、今も地球上には火種がたくさん散らばっている。

旅をしているとあらためてそれを肌で感じることができる。

プーチン大統領の顔にヒゲをつけて、ヒトラーに見立てている写真も、色んな国で見かけた。

ワルシャワではデモ隊の行進も見た。

 

時々、「もしこの地球上に国境がなかったら」と想像します。

不思議なことに、国が違うというだけで、色んなことが簡単に他人事になる。

もし、アフリカで餓死している子どもたちが全て日本人だったらどうですか?

もちろん、具体的に考えていけば問題はたくさんあるはずなので、「今すぐ国境を撤廃すべき!」と思っているわけではありません。

ただ、人間が地球上の「土地」や「海域」を所有しているなんて、おこがましいとは思います。

 

こういうブログで、このような難しいテーマについて長々と論じるのは適切ではないと思うので、ここで止めておこうと思いますが、

アウシュビッツへ行った日は、私たちにとって、またひとつ世界が広がった大切な一日になったことは間違いありません。

 

 

written by Kyoko