いただきます夫婦の世界一周レポート

私たちは2013年10月16日より、「オーガニック」「自然と調和した暮らし方」をテーマに夫婦で世界一周の旅を始めました。 旅の途中で見つけたもの、感じたことなど自由にアップしていきます。 また、いただきますを世界に広める夫婦として、「いただきますの日」プロジェクトにも参加しています。 http://itadakimasu1111.jp/?p=1795

マレーシアオーガニック小物

 旅の途中で出会ったオーガニック小物をご紹介します!

●マラッカ「Soap Artisan」のせっけん

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自分たち用とステイ先のご家族へのお土産用に、2つ購入。

(上)Goat's Milk Chamomile & Shea Butter Soap:すべての肌タイプOK、顔・からだ用。

(下)Rosemary & Japanese Camellia Body&Hair Soap:すべての肌・髪タイプOK、からだ・髪用。

いまGoat's Milkのほうを使っていますが、心の落ち着く香りがほのかにします。このせっけんのおかげで、バックパッカー用の安宿のシャワールームが癒し空間になるのでありがたいです。1つあたり600円前後。

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店員さん曰く、すべてのせっけんがハンドメイド。「NO SSLS & SLES, NO Parabens, NO Dimethicone, NO Petro Chemicals, NO Toxins」で、一部オーガニックの材料も取り入れているとのことです。 

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 お店はマラッカチャイナタウンの入り口すぐのところにあります。KL、ペナンにもお店があるようです!

 Natural Wellbeing(Soap Artisan) <http://naturalwellbeing.com.my/>

 

 ●NATURASIEの虫除けスプレー

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オーガニックアロエベラを含む、100%ナチュラルな素材のみを使用した虫除けスプレー。虫除け効果のあるシトロネラと、ラベンダー、サンダルウッド、レモングラスのオイルが入っていてすごく良い香りです。虫除けのためというより、この香りを纏いたくてシュッシュしてしまいます。南国ステイのお供にもってこいです。

NATURASIEはバリで、“No animal testing”“Support fair trade”“Protect our planet”を掲げているすばらしい会社。マレーシアではOLIVIA NATURAL BEAUTYのお店で取り扱われています。

 NATURASIE <http://www.naturasie.com/en/index.html>

 

●British Indiaのオーガニックアロマキャンドル

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安宿に癒しを、と俊介が購入したキャンドル。

ところで「オーガニックのキャンドルって一体?」って思いませんか?私はいまいちピンとこなかったので調べたところ、この製品の場合は「パーム油がオーガニック」「アロマオイルがオーガニック」「どちらもオーガニック」の3パターンが考えられるようです。ただ、認証マークなど特についていなかったので詳しいことはわからず。そもそもオーガニックキャンドルにも認証基準ってあるのでしょうか?わかる方いたら教えてください!

British Indiaは服がメインのブランドですが、ホームコレクションもあり、数種類のキャンドルが並んでいました。これに火をともすだけで、部屋の雰囲気がぐっと素敵になります。

 British India <http://britishindia.com.my/home/>

 

色んな国のオーガニックに出会えるのは楽しいですね♪

 

 

written by Kyoko

 

ガイドブックに載らない島「Pulau Besar」で見知らぬおじさんについて行った話

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 その島は、マラッカ海峡に浮かんでいる。

 マレーシアには、ペナン島をはじめいくつもの島がある。その多くは、観光地化され、 年中温暖な気候であることも手伝って、国内外から大勢の観光客を集めている。しかし、 その島は、そうではない。島の名前は Pular Besar という。「プラウベサ」と読むのが音として近いらしい。ガイドブックに載っておらず、地元インド系イスラムの人々の間 では「神秘の島」と呼ばれているそうだ。

 私たちは 10 月 25 日に Pular Besar へ行った。滞在中のマラッカ市内から、車で無理なく行ける距離にあり、なおかつその島に関する情報がウェブにもほとんどないことが、私たちの興味をそそった。当日は夕方から雷雨になる予報だった。私たちは午前中に宿を出た。

 島へ行く方法は、ウンバイのボート乗り場で水上タクシーを利用するか、アンジュンバトゥのフェリー乗り場で定期便を利用するかの2択である。前者は好きな時間に島へ渡れるが、費用が高い。後者はその逆である。私たちは水上タクシーでの移動を考えウンバイへ向かったが、着くとそこは閑散としていた。

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 近くで魚を売っているおじさんがいた。声をかけると「島へはフェリーで行った方がいい。乗り場はここから1キロ先のところだから、おれが車で送ってやろう」と言われた。私たちは身の危険を感じ、躊躇した。けれどいざ乗ってみればその言葉は本当で、 12時過ぎにはちゃんと乗り場についた。私たちは疑ったことを謝りたくなった。親切で優しい人はどこの国にもいる(因みにこのおじさんは表題のおじさんとは全くの別人である)

 乗り場にあるチケット売り場は閉まっていた。そばに運行表があったので見ると、ちょうど12時に船が出たばかりで、次は 2 時半とある。仕方なく、私たちは近くのベンチへ腰掛けた。野良猫が数匹いた。船を待つ間、私たちは何度も不安げに空を見上げた。乗り場にいる人は、私たち夫婦と2~3名を除いて皆イスラム教徒の出で立ちで、行き先がイスラム教徒にとって、大変に意味を持つ場所であることを感じさせた。定時に船は、やってきた。

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 島には、エメラルドグリーンのビーチがあった。けれど、ここには、いわゆる賑わいというものがなかった。リゾートホテルも無く、砂浜を水着でかける人もいない。ガイドブックに載らない理由が、すぐに理解できた。時刻はまもなく3時になろうとしていた。船を降りた人々は、思い思いに島を巡り始める。観光地のようなわかり易さがないこの島において頼れるのは、自分の直感ばかりである。

 歩き始めて程なく、目線の先に人だかりを見つけた。何かに祈りを捧げている。彼らの前には、横長に盛られた土があり、そこに線香のようなものが数本刺さり、焚かれていた。スカーフを巻いた女性は何かを口ずさみ、男性は瓶に入った液体—酒だろうか、水だろうか—を、土に向かってかけている。近づくと、煙たくて強い匂いが鼻についた。

 その場所からさらに行くと、今度は白い大きな建物があった。中からコーランを読む太くて深い声が聞こえた。見ると、白装束をまとった男性の周りに数名の男女が集まっている(その中には、行きの船で一緒だった人もいた)。皆、何かを受け取るような構えで、コーランを読む男性の方を向いている。ここは、祈りの島だと思った。私たちのすぐそばにあるベンチで男性が熱心に教典を読んでいた。

 建物の前で、黒服を纏った、ひとりのおじさんと出会った。こちらが挨拶をすると、どこの国の人かと尋ねられた。日本人だと答えると、おじさんは笑って「わたしは日本が好きだよ」と言った。彼は英語が苦手らしかった。コーランを読む声はまだ聞こえている。おじさんは私たちに手招きをすると、木々の茂る方へ歩き始めた。「英語を話せるシンガポール人がいるから会わせてあげよう」と彼は言った。

 ここからが、見知らぬおじさんについて行った話になるのだが、それは次回に続きます。

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written by Shunsuke

 

シンガポールの有機農場“Bollywood Veggies”

2か国めはシンガポール

今回は有機農場“Bollywood Veggies”のレポートです。

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シンガポール郊外、kranji駅からさらに奥まったところにBollywood Veggiesはあります。

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殺虫剤や化学肥料を使わない、オーガニック&エコ・フレンドリーなこのファームでは、きらきらの太陽の下ですくすく育った野菜や果物たちを見たり、買ったりすることができます。

ファームにはガイド付きの見学ツアーもあるようですが、私たち夫婦は個人見学で楽しむことに。経路は30minコースと10minコースの2種類があり、今回は30minコースのほうで歩いてみることにしました。
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ファームの玄関にはレストランがあって、店員さんに「ファームが見たい」と言うとこんなパンフレットを渡してくれます。バナナマップが可愛い。

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歩きはじめてすぐ迎えてくれるのは、Sustainable Garden Farm1の蔓トンネル。これはたしか、カボチャの蔓だったかな?

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野菜、果物からお花まで、さまざまな植物が出迎えてくれます。

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 ファーム内には水を使わないエコトイレもありました。説明書きには、「液体資産(liquid assestって書いてあったけど、たぶんassetのことじゃないかなあ)の場合:液体がじょうご内におさまるよう前に座ってください」「定期預金(fixed deposit)の場合:1/2カップの土と石灰をかけてください」「水の節約と“銀行業”に協力してくれてありがとう!」みたいなことが書いてありました。おちゃめ。

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ファームの中には、精神性を高めるための「気づき」的な言葉が随所に書かれています。

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f:id:kimura_fu-fu:20131023161401j:plainひと通りぐるりとまわってみて、ここは人々のためにひらかれた「観光農場」なのだということを実感。ジョホール・バルで訪れた宇佐美さんの農場とはある意味対極をいっているかもしれない。どちらが正しいということではなく、「オーガニック」には純粋な農業としての側面と、ライフスタイルとしての側面があることを、短期間のうちに続けて見られたのが良かったと思います。

 

歩き疲れたら、ファームの玄関にあるレストラン「poison IVY bistro」へ。

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「毒ツタのビストロ」ってどういうこと?と思って調べたら、このファームを経営している夫婦の奥さんのお名前がIvyさんで、それに因んでつけられたとのこと。なるほど、それでIVYが大文字なんですね。でも、だからといってなぜにpoison?poison ivyで「ツタウルシ」という触るとかぶれる植物を指すらしいのですが、それがわかったところで、腑には落ちない。
と、思ってさらに調べたら、アメリカンコミック「バットマン」に登場する女性の敵キャラ、「ポイズン・アイビー」に辿り着きました。このポイズン・アイビー、wikipediaによると「植物が健やかに暮らせる環境を保護するのが目的で、それを阻害する人類のあらゆる活動を異常なまでに敵視する」キャラなんだそうです。個人的にはこれが一番しっくりきたのですが、真相はどうなんでしょうか。

席についた私たちは、バニラアイス、チョコバナナブレッド、そしてライムジュースを2つ注文。
デザートはどちらも甘すぎず優しい味。ライムジュースは濃厚でフレッシュな果実の味がして、汗をたくさんかいた身体に沁みました♪

 

Bollywood VeggiesへはKranji駅からシャトルバスが出てます。3シンガポールドルでいけて、のどかな風景も楽しめるのでぜひ!

 

Bollywood Veggies <http://bollywoodveggies.com/>

 

 

written by Kyoko

 

海外オーガニック事情・マレーシア

日本では、まだまだ日常的な入手が難しいオーガニック製品。海外ではどうなの?ということで、まずはマレーシアのオーガニック事情をレポートします!

 

首都・クアラルンプール市内では、一般的なスーパーマーケットにもたいていオーガニックコーナーがあり、有機野菜が比較的簡単に手に入ります。

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お値段は日本同様、普通のお野菜よりは若干高めです。

 

大きなスーパーマーケットになると、品揃えはもっと充実します。

こちらで知り合った日本人、小倉若葉(おぐらなおよ・ワクワク海外移住主宰)さんに、KLセントラル駅近くの大型ショッピングモール・Bangsar Village Ⅱを案内していただきました!
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(写真奥が若葉さん)

Bangsar Village Ⅱ内のスーパーは、オーガニック食材がとっても豊富。
新鮮なお野菜や、
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バター、

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チーズまでオーガニックで揃います!
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さらに、スーパー内の一角にはOrganic Sectionが。
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調味料などがたくさん取り揃えられていました。

 

若葉さんと別れた私たちは、続いて東南アジア最大級のショッピングモール・Mid Valley Megamallへ。
ここでは、オーガニック商品を扱うお店が独立して入っていました。
just life
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お野菜、お菓子、ドリンク、ベビーフードから衣料まで。
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*オマケ*
帰りにMegamall内のSimple Lifeというオーガニック・ベジタリアン・レストランで野菜とフルーツのジュースをいただきました。甘すぎずさっぱりしていて、心身ともにスッキリしました◎

 

 

written by Kyoko

 

海外に住む日本人をたずねてVol.2 宇佐美篤さん@ジョホールバル【2/2】

第2部・インタビュー「100%、安全は保証する」

 

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 そもそも、宇佐美さんは何故有機農業をはじめたのか。その経緯をお話いただいた。

 

““そもそもは僕のおじがシンガポールで有機農業に関わっていたことがはじまりです。

 おじは今で言う起業家や投資家のような人で、10年以上前にシンガポールのとある青年に投資活動をしていました。その青年は、かねてから有機農業に興味を持っていて、実践を目指していたところで、おじと出会ったのだそうです。おじは、彼に日本で有機農業のノウハウを学ぶことを薦め、渡航費から日本での生活費、授業費に至るまで、費用を全額負担したといいます。まだ有機野菜なんて言葉はメジャーじゃなかった時代の話ですから、おじにもその青年にも先見の明があったといえるかもしれませんね。おじの援助を受け日本で学んだ青年は、帰国後、無事有機農業を成功させました。それを受け、今度はできた野菜を売るための会社をおじがシンガポールに作ったんです。

 おじがそういった活動していた頃、僕は渋谷でホテルマンをしていました。あるとき、おじが僕に「この先、ホテルマンには英語が必須だから、一度海外で勉強してこい」と提案してくれたんです。海外で活躍していたおじの言葉は、すごく説得力がありましたね。検討した末、僕は、シンガポールへ語学留学に行くことを決めました。””

 

 留学中は勉強の合間を縫って、おじの会社で野菜配達を手伝っていたという宇佐美さん。農業と深く関わり始めたのはこの頃だという。

 

““休みの日は積極的に農場へ行っていましたね。自分の目で現場を見て、生の声を直接聞いていました。そこでの話がとても興味深くて、どんどん自分でも農業について調べるようになった。そして最終的には「自分で農業をはじめた方がいいんじゃないか」という気持ちになったんです。そう思い立ってからしばらくは、日本とシンガポールを往復する日々が続きましたね。シンガポールで仕事をしつつ、和歌山県で農法を学んだんです。””

 

 思ったことはとにかく行動に移してみるという宇佐美さん。彼が農業を始めたきっかけは、芽生えた問題意識を放って置かない、そのまっすぐな姿勢にあった。

 

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  なぜ、宇佐美さんはマレーシアの地を選んだのだろうか。その理由も聞いてみた。

 

““僕は、最初シンガポールで農業をするつもりだったんです。でも、実際に準備をはじめたらコストがかかりすぎることがわかりました。試行錯誤をしていたときに、農業友達が「マレーシアにいけば、ずっとコストをおさえられるよ」と教えてくれて。それが大きなきっかけとなって、僕はマレーシアへやってきました。””

 

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 宇佐美さんが「有機」にこだわる理由も改めて伺ってみた。

 

““僕はとにかく薬が嫌いなんです。これが有機にこだわる一番大きな理由です。

 マレーシアで農業を始めた頃に関わっていた農家さんが、薬漬け農業をしていました。なんでそんなに薬をまくのか尋ねると、関係者は口を揃えて「作物に穴があいたら売り物にならないから」という。でも、当人達は絶対それを口にしないわけですよ。自分たちの分は他で作っている。おかしいだろと思いました。そんな野菜や果物を市場にばらまいて良心は傷まないのかと。儲かりゃいいなんて理屈は違うと思ったんです。

  また実際に農場で働いている労働者達には湿疹など、身体の異常も出ていました。でも、経営者はそんなことお構いなしに農薬をばらまく。マレーシアの農場で働く人の多くはインドネシアミャンマーなどからきた2年間限定の出稼ぎ労働者なのですが、彼らを使い捨てのように扱う経営者は多く、スタッフを育てるという感覚がないわけです。そういう現場の様子が、僕は本当に嫌だった。農作業というのは、人間が生きていくための原点ですよね。そこで、リーダーを勤める人間には、それなりのハートが必要だと思うんです。

 だから僕は「絶対に農薬を使わない」そして「外国人労働者労働環境を快適なものにする」という信念を持ってやってきました。あとは、海外で働く日本の顔として、常に誇れるものを作っていたいという思いもありましたね。僕は「化学肥料が心配ならうちの野菜を食べてくださいよ。100%安全は保証しますよ」と言い切れます。そこの信頼で、お客さんを得てきた自覚が僕にはあるんです。””

 

 最近は野菜作りだけでなく、市場調査やコンサルタント的な仕事も増えてきたという宇佐美さん。海外にいる立場を生かし、農業の分野から日本と他のアジア諸国を繋ぐサポートができればと語ってくれた。

 

““なんだかんだいっても、日本は僕の母国なわけですから、自分のできる形で、日本を元気づけるお手伝いができればと思っています。僕は日本に恩返しがしたいんです””

  

 後日、宇佐美さんが育てたナスと小松菜を、私たちは調理し食べた。どちらも歯ごたえがよく、甘みもあって、余計な味付けは不要だった。噛み締めたくなる野菜を、久しぶりに食べたと思った。野菜に込められた信念と惜しみない愛情を、その瞬間、私たちは確かに感じとることができた。 

 

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 written by Shunsuke

 

海外で暮らす日本人をたずねてVol.2 宇佐美篤さん@ジョホールバル【1/2】

 ジョホールバル(Johor Bahru)は、マレーシア最南端の都市で、海沿いを歩けば、すぐそこにシンガポールが見える。首都クアラルンプールから、飛行機で1時間弱、マレー鉄道を使うならおよそ4時間半の長旅である。この都市に住む日本人は1000人に満たないという。今回、その内の1人である宇佐美篤さんに、私たちはお会いすることができた。

 宇佐美さんは10数年前からマレーシアの地で完全無農薬の農業を行っておられる。元ホテルマンという異色の経歴をお持ちの宇佐美さんに、ご自身の農法からホテルマンをやめマレーシアで農業を始めた経緯、そして日本に対する思いまで、お話を伺った。

 取材は長時間に渡ったため、農場見学編とインタビュー編の2部構成でその模様をお届けする。

 

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宇佐美篤(うさみあつし)さん

1972年生まれ。ABMグリーンヒル代表取締役

東京渋谷にて5年間ホテルマンとして働いた後、日本を離れる。

現在、マレーシア・ジョホールバルにて有機農業を行っている。

http://noaggmf.sakura.ne.jp/abm/about.html

 

第一部・農場見学「野菜にもハングリー精神を」

 

 2013年4月より、宇佐美さんはこの地で農業を行っている。それまで利用していた借地は、開発事業の影響を受け、3年で明け渡すことになった。現在の場所には、長く居られそうだという。

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 宇佐美さんの農場は緩やかな斜面上にある。その広さは、未開の部分も含めると、3エーカーに及ぶそうだ(インターネットで調べたところ、1エーカーは畳2448枚分らしい。ますますよくわからなくなってしまった)。私たちが伺ったのは、休日だったため、2名いる従業員の方も、ゆったりとされていた。

 広い農場内をひとつひとつ丁寧に回りながら、宇佐美さんはご自身の農法について、教えてくださった。

 宇佐美さんの農場がある場所は、お世辞にも野菜作りに適した場所とは言えないという。

 

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  なぜ、野菜作りに向いていない土地を宇佐美さんは選んだのか。聞いてみた。

 

““その質問はよく受けますね。「こんなところで何が作れるの?」と。しかもこの環境で無農薬というとなおさら驚かれます。ですが、他の人でもできることをやったって、それは「当たり前のこと」にしかならないじゃないですか。誰もが「これは厳しいでしょう」と思うことをあえてやる。そうすることではじめて自分という人間に固有の価値が生まれるんじゃないかと僕は考えます。””

 

  その言葉通りに、宇佐美さんの農法は「一般的」なものではない。例えば、ビニールハウス内に目を向ければ至るところに雑草が生えている。これは普通、あり得ないとされていることだ。 

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 ““ご覧の通り、ぼくのハウスは草まみれです。長年の経験で、ハウス内を綺麗にしすぎても駄目、というのが僕の持論なんです。僕は、間引きの段階で草抜きをしたら、もうその後は抜きません。神経質になって草を抜きすぎると、反ってひどい野菜ができるんです。むしろ草があった方が、野菜はよく育つ。この方法で、収穫時期にはそれなりの量が穫れるんですよ。””

 

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 ““僕は、野菜が本来持っている力をちゃんと引き出してやることが大切だと思っています。これも僕の持論ですが、可愛がって育てすぎると野菜もなまけてしまうんですよ。だから、あえて雑草のような競争相手を作ってやるんです。例えば、僕の育てるナスは、成長過程で一度駄目になります。周りの雑草に栄養を持っていかれることが原因です。でも、駄目になったところで、少し周りの草を抜き堆肥を与えてやると、また息を吹き返す。それどころかぐんぐん栄養を吸収して、以前よりも引き締まった立派なナスになる。僕は野菜にも反骨精神のようなものがあると思っています。「いかにして野菜にハングリー精神を与えるか」がこっちで農業をはじめてからの僕のテーマでしたね。””

 

 日本の農業と比較して大きく異なる点も宇佐美さんは教えてくれた。 

 

““種の蒔き方が、日本とは違います。こっちの種は安い代わりに、発芽率が悪い(50%にも満たない)ので、買ったら全てふりかけ式に蒔いてしまうんです。日本だとトレーにひとつずつ入れ発芽させてから定植したりしますけどそんなことはしない。とりあえず蒔いちゃう。その後は、もちろん発芽具合を見て、移植することもありますけど、基本は自然に任せます。””

 

 有機農業をやっている方達は、総じて宇佐美さんのようなやり方をしているのだろうか。尋ねてみた。

 

““いや、皆同じ方法でやっているわけではありません。もっと農場内を綺麗にしている農家さんはたくさんいます。マルチでやっている人も多いです。そのような方々と比べると、僕は自然農法に近いスタイルだと思います。つくづく一般的な方法ではやってないと思いますね。 ””

 

  宇佐美さんの声は厚みのある低音で、語り口は終始穏やかだった。にも関わらず、彼の言葉には聞き手を高揚させるものがある。この熱量は一体どこからくるのだろうか。第2部に続く。

 

 

written by Shunsuke

 

 

 

海外で暮らす日本人をたずねてvol.1@クアラルンプール

 世界一周の旅、一カ国目はマレーシア。

 クアラルンプールにあるKLセントラル駅からほど近い場所に、バンサー(Bangsar)という住宅地があって、そこに一家で日本から移住された方がいる。この度縁あって、私たちはその方とお会いすることができた。名前は、小倉若葉(おぐらなおよ)さん。

 日本人にとって、あまり馴染みがないように思えるこの国へ、なぜ小倉さんは移住したのか。彼女との出会いを通じて、これからの暮らし方について考えてみたい。

 

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小倉 若葉(おぐら なおよ) さん

神奈川県生まれ。201212月よりマレーシアの首都クアラルンプールに家族で移住。現在、ほぼ毎月、KL—東京間を往復しながら、育児と仕事を満喫中。

マレーシア在住の日本人と移住を考える日本人のためのコミュニケーションサイト「ワクワク海外移住」主宰。

http://wakuwakuijyu.com/

「デイジー」のニックネームでブログ「クアラルンプール、ときどき東京。」を書いている。

http://wakuwakuijyu.com/blog/daisy/  

 

 小倉さんが、マレーシアに移住したのは、201212月。移住の大きなきっかけは、東日本大震災だったという。震災が起こった当時、小倉さんは東京在住だった。 

 

““私はもともと、東京という街が大好きでした。東京でやりたいことがたくさんあったし、友人もたくさんいたし、離れる気は全然なかった。

 でも、震災があって、子ども達のこれからを考えたとき、このまま東京に住み続けようとは思えなかったんです。

 震災後一週間で、母の実家がある四国へ移り住みました。四国で生活している間も「この先どうしよう」と絶えず考えていましたね。四国にずっといるのもなんだか違う気がして。もちろん国内の他の土地へ行くという選択肢もありましたが、子ども達のことを一番に考えた末、海外へ移住する決意をしました。””                               

 小倉さんには、ふたりのお子さんがいる。慣れない海外の地へ、我が子を連れていこうと思った理由を小倉さんはこう説明してくれた。

  

““子ども達には、世界のどこにいても、生きていける力を身につけて欲しいと思っています。10年後、日本を含めて世界がどのようになっているのか、誰にもわかりません。そんな時代をこの子たちは生きていかなければならないんです。肌の色にしても、文化にしても、世界は単一ではなく、多様です。この子たちには、そのことをちゃんと知り、そこに偏見を持たずに生きてほしいと思っています。””

 

 なぜ、小倉さんはマレーシアを移住先に選んだのか。その理由も尋ねてみた。

 

““理由はいくつかあります。1つは、英語が通じること。2つ目に、日本との往復が比較的容易なこと。今はLCCで安く、気軽に行き来ができます。3つ目に、インターネット環境がちゃんと整っていること。私は、夫とともに、デザインや編集の仕事をしているのですが、仕事柄日本の企業と容量の大きいデータのやりとりがあります。ですから、ちゃんと光回線が通っていて、ストレス無く、インターネットができることは重要でした。そして、4つ目にマレーシアの人々に惹かれたことがあります。マレーシアの人々は、とても子どもに優しいと感じます。例えば、お店で小さな子どもが騒いでも、それを受け入れてくれるような、寛容さがある。ここなら、安心して子どもを育てられると思いました。”” 

 

 それを聞いて、私たちは、マレーシアへ入国してすぐに見たある場面を思い浮かべた。空港から市内へ向かうシャトルバスに乗ろうと、バス乗り場へ向かったときのことだ。バスの荷物入れへバッグを放り込んでいた男性のもとに、少女が一人近づいてきた。男性はそれに気づくと、その場にしゃがみ、満面の笑みで少女を迎え、彼女の頭を優しくなでた。その光景は、マレーシアへ入国したばかりで不安を感じていた私たち夫婦に、安心感を与えてくれた。

 小倉さんの話に、私たちは大きく頷いた。

  

 この先も、小倉さんはマレーシアに住み続けるのだろうか。小倉さんは言う。

 

““私は、飽きっぽいところがあるので、この先のことは正直わからないですね。でも、今はマレーシアでやりたいことがあるので、しばらくはここに住むと思います。

 私は、アートが好きなんです。東京に住んでいたころ、アートをテーマにプロジェクトを立ち上げたこともありました。東京と比べるとクアラルンプールには、まだまだアートが足りないと感じています。だから、世界中のアーティストが集まるような場所を作りたいんです。具体的にはアーティストが集うゲストハウスのようなものを作れたらなと思っています。アーティストには、宿代を無料にする代わりに、現地に住む子ども達と交流してもらったり、宿にお気に入りの本を何冊か寄付してもらったりして、マレーシアのアートを盛り上げるお手伝いをしてほしいですね。

 あとはひとりの母親として、子ども達がもっとクリエイティブに遊べる環境を整えてあげたいと考えています。マレーシアは年中温かいし、自然も豊かだから、さぞかし子ども達ものびのび遊んでいるのだろうと思われるかもしれませんが、現状は違います。外には、子ども達の生命を脅かすような虫が多いですし、池や川の近くでは感染症の危険もあります。だから、多くの子どもは、屋内、例えばショッピングセンターの上にある施設などで遊んでいるのが実状です。この状況を改善する必要があると私は考えています。

 また、マレーシアに移住したいと考えている日本人のために、正しい情報を発信することも私の役割のひとつかなと思っています。巷では、「マレーシアの物価は3分の1で、日本より生活費がずっと安い」なんて情報も出回っているようですが、それは幻想であり、現実的ではありません。ちゃんとした暮らしがしたければ、マレーシアでもそれなりにお金はかかるんです。シビアなことを言いますが、移住には決意だけでなく仕事もお金も必要です。本当にためになる情報をマレーシアの地からお届けできたらと思っています。””

 

 インタビューの中で、小倉さんは「私は飽きっぽいから」と笑っていたが、彼女の言葉の端々からは確かな芯の強さが感じられた。我が子のことを思い、移住を決意した小倉さん。彼女の行動の根底には、いつも家族への想いがあり、それはこの先も絶対に揺らぐことはないだろう。

 

““人生は一度きり。人は、自分の好きなことをとことんやっていい!”” 

 

 マレーシアの地で、飾らない彼女のまっすぐな言葉が、胸に響いた。

 

written by Shunsuke